2008年12月09日

冬日向

なにもせず、じっとしている冬日向

今日、出勤途上に近所の猫がひなたぼっこをしていました。 気持良さそうで、携帯で写真をとるのに気が付いていないようでした。

冬日向






湘次さんの句を見て思わず投稿。  

Posted by hikaru_fujita at 13:18Comments(0)TrackBack(0)clip!散歩 

2008年06月24日

猫の世界

湘次さんの写真。詩情あふれる写真がいいですね。猫たちは何をお話していったんでしょうか。
この野次猫を見たときにはなるほど人間の世界と何にも変わらないなと思いました。猫も人間と同じように動作に感情が出ますね。
これからもすばらしい写真を期待しています。


  

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2008年02月09日

もののこわれ方

袖ヶ浦在住非破壊検査屋さんの載せた茶碗の欠け方
おもしろい。
私もこのような欠け方ははじめて見た。
自然の世界では小さな世界のことが大きな世界に拡大された時に意外な結果を生むのだなと改めて感じました。
また、そのようなことがすぐわかるというインターネットの世界の威力も感じました。
なにより、この事実をこうして分析してさらっと書いている袖ヶ浦在住非破壊検査屋さんの感性に拍手です。

  

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2007年01月28日

信じられない画像

「英文 ダウジング翻訳のメモ」さんが公開しているHarkvideoの画像スケールの大きな画像だ。自然の力はすばらしい。まさに北斎の版画のように時が止まった様子でこんなことが現実に起こることが信じられない。おそらくかなり低温の時刻にこのような事態になったのだろう。  

Posted by hikaru_fujita at 18:48Comments(0)TrackBack(0)clip!創造力と想像力 

2006年11月01日

この秋、はじめてのハイキングが同窓会のハイキングということとなった。
いつものハイキングと比べるとなんだか山の標高が高い気がする。不安があるのでさらに準備をすることとした。遭難して笑われるのはいやだ。いい年をした者が人に迷惑をかけることを思えば、慎重にならざるをえない。紅葉を愛でる余裕があるかな。
  

Posted by hikaru_fujita at 10:46Comments(2)TrackBack(0)clip!散歩 | 健康

2006年06月21日

情報の価値という伝統

松本健一の「砂の文明、石の文明、泥の文明」を見ていてなるほどと思ったこと。
砂の文明は部族の存続を保証する情報を大切にする、「1日にひとつおもしろい話をしたら、1日生き延びさせてあげよう」という千夜一夜物語がアラブの伝統的な発想だそうだ。文明により歴史的に重要視されることは違ってくるが、アラブの文明では情報をもたらす者は常に客人だったそうだ。
このような価値観をどのような局面で感じるかといえば、現代でもやはりアラブの人々にとって新しい文明の香りのする情報、異文化の情報には違いがないのだろう。それは自分たちが持っていない文化、考え方、世界観など、ある意味で危険に満ち、存在を脅かす権力に関する情報が核心部分であったと思われる。
アラブの世界はこの核心情報を入手するために、歴史的に或いは同化し、或いは対決して相手の出方を見るという対応をしているのかもしれない。
アルジャジーラのような幅広い主張を流すマスメディアが存在している理由も同様なところにあるのだろう。

  

Posted by hikaru_fujita at 23:19Comments(0)TrackBack(0)clip!コミュニケーション 

2006年05月27日

費用対効果

RSSの費用対効果という記事を見て、普及にはiPodのようなインパクトのある製品の一層数多くの出現を待つしかないという気がしています。RSS、Atomはいずれ普及していくWeb2.0の通過点に過ぎないのだろうけれど、普及という点から言うと使い勝手がまだ悪すぎるのではないだろうか。技術の知名度もまだまだという気がします。いろいろな弊害を引きずりながら、どこかで簡単な操作が爆発的な普及をもたらすだろうという予感はあるのですが。   

Posted by hikaru_fujita at 20:42Comments(0)TrackBack(0)clip!市場感覚 

2006年05月06日

日本人の時間意識再論

今月号の月刊誌「言語」に中国の潘鈞と小澤伊久美の論文で「時間意識は言葉にどう表れるか」という記事がある。
「たまたま」「いよいよ」の使い方を例に挙げて、日本人の時間意識は主体の気持ちや心情の方が決定権を握ると述べられている。
同感である。
英語、中国語との差異がここにあるとのことだ。
  

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2006年04月29日

時の観念

大野晋の1968年の論文で日本人の思考と述語様式を述べたものがあり、岩波現代文庫に再度復活した「語学と文学の間」を読んだ。
ヨーロッパの時の観念が空間的で過去、現在、未来と直線的に並んでいるのに対し、日本人は未来を区別せず、自分の推量で把握した。そして、一般的推量、現在の事態の推量、原因の推量、過去の推量、確実な推量、自分の力以上のなにかの力によるとする推量、伝聞の推量などを区別した。
とのべている。これは世界解釈の仕方が言語にあり、生まれながらにしてものの見方が制約を受けているみごとな例だろう。
  

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2006年04月16日

大切なもの

人を大切にするという国家の方針は裏返せばこれまでは大切にしていなかったということなのだろう。こういった方針は大きな方針転換につながる可能性がある。WTO加盟問題や外貨準備高が世界一ということとももちろん大きな関係がある。そして、1989年の天安門事件から17年で中国国内の人々の考え方の基準がこれほどまでに反対方向へ振れてしまうとは誰が予想しただろう。ルールが存在して規律が保たれるというより、無軌道な勢いを制度が後追いで追認しているように見える。本来あるべき基準はどうなっているのだろうか。日本の国も相当程度この国に影響されている。教育の問題、制度の問題を問わず年配者の経験が生かされない国のシステムでは危ういという思いをあらたにしている。   

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2006年04月10日

gmail

GMAILの検索窓に「is:unread」と入力すると未読MAILが検索されるという記事を見て、早速試して見た。他に類推で「to:hikaru」とか「from:fukui」とか「is:spam」とか検索するとみごとに検索される。普通のGoogle検索と同じ機能がついている。なるほど。   

Posted by hikaru_fujita at 23:43Comments(0)TrackBack(0)clip!インターネット 

2006年04月08日

時間の値打ち

グリーンスパンは正しく、本質を指摘していたと思う。ストックオプションの費用化はある意味で見せかけであり、絵に描いただけのものをきちんと現在に引き直す作業でもあるから。同じことは年金制度についても言える。既にひずみが大きくなりすぎてもいるが、これを修正するとしたら動きは市場に任せるのがよいのだろうか。むつかしい。
  

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2006年03月25日

ライプニッツのイメージ

野家啓一の「物語の哲学」を読んでいて、ライプニッツの「モナドロジー」第61節「魂の襞」という記述に言及した部分に出くわした。ライプニッツのイメージは著しく空間性に傾いてはいるが、時間性に置き換えることにより、ひとつの歴史哲学として読むことができるという指摘だ。今日のテレポーテーションへの関心の高まりなどとのアナロジーが見られて興味深い。   

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2006年02月18日

捨てたもの

    一昨年だったと思うが、長い間とっておいた元の勤務先の社内報、約30年分をほとんど全て捨てた。相当の決断だったが部屋の中で保管するスペースが無くなり選択の結果捨てることにした。最近、OBの会が過去の記録を探しているということを知り、残念なことをしたと思ったがやむをえない。誰か余裕のある人が置いているだろうし、誰かが寄贈して整備されていくだろう。紙の媒体はインターネットのキャッシュのようにどこかに残っていくという期待はできず、一旦煙になってしまったら戻らない。印刷された部数が少ないものほど散逸するリスクがあるだろう。もっとも必要とする人のほとんど無い情報は残しても無駄といえるので、何のために残すのかよく考えることの方が重要なのだが。単なる個人の想い出のためなら自分の中で不要となったらもう不要としかいえないのはあたりまえの話だ。むしろ、写真や手書きの書類、手紙葉書の類の方が希少性があるといえるだろう。先日の日経新聞のプラス1「なかなか捨てられないもの」特集で誰もみな同じなんだなと思わず苦笑した。
  

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2006年02月17日

わかったということ

わかったということがいかにあいまいでわかっていないことか、コミュニケーションとはかくもむつかしいものなのか、改めて言葉や仕草のもつ限界を感じる。一方で、ちょっとした信号ですべてを了解するということもまたある。これもきわめてふしぎな現象だ。相手を理解しようとする思いと、なぜ相手が理解してくれないのか理解できない、というコミュニケーション面での苦痛は誰しも経験があるだろう。
年齢を重ねることにより、どういったケースでコミュニケーションがとりにくいか、いやというほどさまざまな経験を重ね、ひとびとはさまざまな局面で困難を克服する手段を編み出している。
社会的な挨拶行動や礼儀作法、儀式や祭りの習俗、古来互いにコミュニケーションを行う困難に直面したときに、昔の人はこのようにしたという知恵がわれわれの生活の行き詰まりを打開してきた。愚直に昔の人がやったことをなぞる行動がわれわれを救ってきた。
  

Posted by hikaru_fujita at 22:42Comments(0)TrackBack(0)clip!コミュニケーション 

2006年02月05日

パキスタン地震

パキスタンの地震でこのように大きな断層ができていたとは知らなかった。地表はやはり大きく動いている。   

Posted by hikaru_fujita at 10:43Comments(0)TrackBack(0)clip!創造力と想像力 

新聞の力

日経新聞がIpodを話題にしているが、多くの人にとってIpodは単なるウオークマンの延長であったという事実に改めて気がついた。使って初めてわかるということはINTERNETのなんたるかをはじめて得心したと言うに等しく、使っていない人には夢中になっている人の世界の広さが自分と同じという理解しかできていなかったということだろう。そういう意味では、Ipodという商品は文化に革命を起こしたといえるのだろう。そして、このような記事が書かれることにより、ん?なにかあるぞと思う人が多く出現するに違いない。新聞はこういった多くの人の常識となっていることに別の意味があるというシグナルを発する機能がたしかにある。
  

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2006年02月04日

小説を読むということ

小説を読まなくなって久しい。青春時代の想い出は小説と友人とそしてさまざまな出来事の記憶だ。なかでも小説は感受性の高い青年時代に最も真剣に読むことができた。ものの見方や人間世界の在りようを表と裏の両面から深く教えてくれた気がする。家族を含め、周囲の人々はきちんと教えてくれなかったが、書物はきちんと教えてくれた。批判的に小説を含めた書物を読めるようになってはじめて大人の仲間入りができるようになっていったともいえるだろう。
一方、今日広く読まれている書物がどのようなものかよくわからないが、なにか私が小説で読んだ世界とは違った世界が展開されている気がする。これは私の習得した小説を中心とした世界理解が今や時代錯誤に陥りつつあるということなのだろうか。それとも、書物というグーテンベルク以来の紙媒体による知識の伝達に閉塞状況が生じていて、違う世界の住人が増加して多数を占めているということなのだろうか。現実に体験するという側面を欠き、フィクションで終始する小説、その中にはあらゆる可能性と真実があったという気がする。
  

Posted by hikaru_fujita at 22:37Comments(0)TrackBack(0)clip!読書 

2006年01月31日

投資環境

どうも景気がいまひとつ実感としてよくなったと思えない。
株式市場は先見性があるのかないのか、異常な盛り上がりだ。金の無い人が借金をして投資をしている。または、信用取引で異常なリスクをとっている。海外勢が投資しているといっても、国内の資金の一部が海外を迂回して還流しているものも多いだろう。法人の指標の実態は縮小から拡大へ転換したばかりだ。
この信用の膨張がどこかでまた、はじけ、歴史が繰り返される。実物経済がなにも変化していないのに、価格が膨らむのはインフレーションそのものだ。かんたんな理屈だ。なぜ、だれもそのことを言わないのだろう。インフレ論者がデフレに懲りたひとびとによろこんで迎えられる構図か。
わたしの、景況感がおかしいのかな。経済は気分の部分があるとはいえ、転換の度合いが信じられない状況だ。
  

Posted by hikaru_fujita at 23:28Comments(0)TrackBack(0)clip!市場感覚 

2006年01月24日

当初のデザインに戻しました

この1年余りベージュのデザインにしていたが、当初の白のシンプルなデザインに戻しました。気分を入れ替え、また、BLOGを書いていこうと思います。
このLivedoorのBLOGは私にとってインターネットの楽しさを教えてくれた窓口です。特に今は他社へ移ってしまいましたが、宮川さんの技術とトークに感嘆し、このインターネットの奥深さを教えてもらいました。新たな人が現れて自由に語ってくれることを期待しています。
  

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